先日、彼が、「魚をさばくのは褒められるのに、肉を加工するのは嫌がられるのはなぜだろう」と言いました。同じことをしているのに、と。
たしかにそうですよね。
魚よりも、牛や豚、鶏などは多少人間に近い存在だからでしょうか?
私はときどき、料理番組などで肉や魚を調理するのを見ていて、ぞっとすることがあります。
命あるものを調理しているのに、そのことを忘れている自分に気づきます。
私自身はあまり肉や魚を食べたくないし、自分用には調理しませんが、飼い猫のために鶏肉や魚を使ってエサを作っています。
生きる上で、他の植物や動物を犠牲にしているなぁとつくづく思います。
残酷で傲慢なものとしてこの世に生まれた
風野真知雄さんの小説「隠密 味見方同心」を読んでいます。江戸時代の奉行所の同心が、「味見方」として食べ物屋を探り、悪事を暴くシリーズです。
「隠密 味見方同心(四)恐怖の流しそうめん」に印象深いセリフがありました。
精進料理というのは、考え違いで出来ている
命あるものを食べない。むやみに命を奪わない。それでいいことでもしているように思い違いしている。草花や実に命はないのか
どう見たって命がある。わしらは、ほかの命を奪わなければ生きていけぬのだ。もともと、残酷で傲慢なものとしてこの世に生まれたのだ。それをしっかり自覚せねばならぬ。
残酷にも傲慢にもなりたくなかったら
そのものがいちばんおいしくなるような料理法で食え隠密 味見方同心(四)より抜粋
風野真知雄さんの他の作品でも、人間が他の命を奪わないと生きていけないということが書かれていました。
感謝しておいしくいただくようにしたい
以前は、どうしても殺生をしないといけないことに心を痛めていたのですが、他の命を犠牲にしないと生きていけないのだということを今さらながら自覚しました。
残酷で傲慢なんだということも。
自分で調理しないからと言って、他人が調理したものは食べているんだし、とんかつ好きでもあるので、ベジタリアンにはなれません。感謝しておいしくいただくようにしたいです。